【観光編】4日目 カンボジアの暗黒歴史を学ぶ/キリング・フィールド編
今回のプノンペン観光のメインは、チュンエクのキリング・フィールドと、トゥールスレン虐殺博物館へ行くこと。
正直な話、私は去年にカンボジアのシェムリアップを訪れ、ツアーガイドにポル・ポト政権の話を聞くまでは、カンボジアでそんなことがあったことをまったく知りませんでした。
もしかしたら、歴史の授業で習っていたのかもしれないけど覚えてない。
とても好きになった国なので、歴史について知りたいと思い、それから、ウィキペディアなどでこの残酷な時代について調べたりしましたが、あまりにも酷くて、現実に起きた出来事って言う感覚が無かったので、今回訪れるプノンペンにはそんな時代の爪あとが感じれる場所へぜひ行ってみようと思ったのであります。
前日のバスターミナルからホテルまで送ってくれたトゥクトゥクのおじちゃんに、キリングフィールドからホテル往復で10ドルで交渉し、朝8時にホテル前で約束。
そしたら、代理で別の若いお兄ちゃんが代わりで行ってくれることに。
※きっと、最初は15ドルって言ったのを10ドルに値切ったから、若い衆に任せたのかもしれない
プノンペン中心部からキリングフィールドまではバスなども無いので、ツアーか、
トゥクトゥクチャーターで行くしかありません。
レンタサイクルやバイクもありますが、道はでこぼこ道が多くなかなかしんどいと思います。
道も混んでいたので、30分ちょいで到着。
ドライバーと待ち合わせ時間を決めて解散。
入場料 6ドル
オーディオガイドは必須。
多言語対応しています。
入ると、まず大きな慰霊塔が見えます。
ここがスタート地点であり、最終地点でもあります。
それから、番号が書いてある順番に周り、ガイドを聞きながらそこでどんな事があったのかを知ります。
周りはのどかな自然でここで何万人が処刑されていたとは考えられません。
元々、ここは中国人のお墓として使われていた場所でした。
※ここから先はガイドの情報を元に紹介していきます。
残酷な表現が苦手な方、これから行く予定で白紙の状態で行きたい方は、ここから先は読まないほうがいいです。
↓ ↓ ↓
まず、どうやって、どんな人がここに連れられてこられたのかという説明があります。
ちなみに、キリングフィールドはチュンエクという町にあり、市内からは少し距離があります。
目隠しされた状態で沢山の人がプノンペン市内からここまで運ばれてきます。
私がトゥクトゥクで通った道を、約40年前は沢山の人が殺されるために運ばれてきたのだと思うとぞっとします。
DDTの保管場所
DDTは死体にも振りかけられていたそうです。
やしの木
このギザギザで首を切っていたらしいです。
ヒエェ・・・・
本来は鶏をしとめるためにこの方法を用いるようですが、ここでは人間に対して行っていた。。
聞いただけで首筋がヒヤッとしました。
ここからは450人の犠牲者の骨が発掘された場所。
頭の無い遺体が埋められていた場所
キリングフィールドでは、今でも犠牲者の骨や衣類の切れ端が出てくるそうです。
そんな衣類や切れ端が集められて保管されています。
よくみると子供の服もありますね。
土から出てきた骨や歯が入れられています。
これからもきっと見つかってはこのケースに入れていくのでしょう。
犠牲者はおよそ12万人で、まだ完全に全ての犠牲者の骨は出てきていないそうです。
これはあえて、この外に置いたままなのか、最近の忘れ物なのかわかりませんが、こういう風に普通に通りすがりに服や切れ端があったりします。
※でも、東南アジアはわりと普通の道に服が落ちていることや引っかかっていることがよくあります。
そして、もっとも痛ましい場所。
この木で赤ん坊をたたきつけて殺していたそうです。
木のすぐそばに大きい洞穴を作り叩きつけては投げ込むというように、まるで物を乱暴に扱うような、酷いことをしていました。
しかも母親の目の前で。。
ポルポト政権が失脚後にここを訪れた人が見たものは、死体から出たガスで土が大きく膨らんでいたり、酷い悪臭だったそうです。
そしてこの木にも血や遺体の一部が付いていたりしていたとか・・・
この木についている輪っかみたいなものは、犠牲者への弔いとして、訪れた人が付けた物です。
マジックツリー。
この木は菩提樹ですが、クメールルージュはマジックツリーとこの木に名前をつけました。
この木にスピーカーをくくりつけて、大きい音で革命ソングを流していたそうです。
虐殺された犠牲者の叫び声をかき消すためです。
ぐるっと回るうちに最後は慰霊塔に戻ります。
最後はこの中に入ります。
この中は発掘された頭蓋骨が主に、また処刑に使われていた器具などが置かれています。
写真を撮るのは躊躇しましたが、キリングフィールドは今は観光場所として、世界中の人にこの悲しい時代を知ってもらうための場所として残されているものなので、この些細なブログでも、伝えられたらなという思いから、載せています。
処刑はあくまでも原始的に、斧や鉄や木の棒などでした。
銃は弾がもったいないという理由で使わなかったそうです。
オーディオスピーカーのガイドはとても内容が濃く、
生き残りの方のお話、遺族のお話なども聞くことが出来ます。
およそ二時間くらいは時間を見ておくといいでしょう。
来場者は欧米の観光客が多かったです。
カンボジアの首都であるプノンペン、今はコンドミニアムやイオンモールなど都市開発が進んでいますが、40年前はクメールルージュにより町を追い出され、ゴーストタウンになった場所です。
訪れた際にはぜひこの町で起こったことを深く知ってみてはいかがでしょうか?
そして改めて、平和になったカンボジアに来れていること。そして平穏に生きていることに感謝の気持ちが湧いてくると思います。
トゥールスレン虐殺博物館についての記事はこちら↓
【カンボジア・プノンペン】4日目 カンボジアの暗黒歴史を学ぶ/トゥールスレン虐殺博物館編 - アラフォー女子のジプシーライフ☆アジア旅行記